井上康生の敗戦は微妙な判定だった。
テレビで見る限り、相手方に有効がついたのはどう見てもおかしい。そもそも井上が技をかけたのは場内だが、相手が井上の技に倒されてから、倒れ際に井上を投げたのは場外である。
しかし、それよりも分けのわからない判定は、100kg級の鈴木桂治の敗戦だ。テレビで映像を見たが、鈴木の大外刈りが決まってバランスを崩された相手が、倒れ際に強引に鈴木を巻き込んでもんどり打って一緒に倒れたように見えた。これまでの柔道の試合なら、問題なく鈴木の一本勝ち、悪くても技ありであろう。それが、今回の判定は、倒れる際に入れ替わって先に背中が床に触れた鈴木の一本負けである。
技をかけて決まった。
相手が倒れた。
本来ここで勝負あり、というのが武術である。
しかし、今大会では、相手に技を決められて自分が倒されても、相手を抱き込んで一緒に倒れ込み、相手の背中を先に床に着ければ、技をかけた方ではなく、かけられて倒れた方が勝ちとなってしまう。
国際柔道連盟の会長以下全役員がスポーツ・ポリティック専門の政治家たちに牛耳られる羽目になり、柔道のルールが変えられつつあるように感じた。
一言で言えば、柔道が、「武道」的な力と技を競う勝負の世界から、極めて欧米人的な発想である「ルールで決められた『勝ち』であれば、どんな形でも勝ちは勝ち」の競技になってしまったような感じがするのである。
柔道が世界スポーツになったことはいいことだと思う。
しかし、このスポーツで優劣を競うべきは「力と技」であるべきで、「ルールを活かして勝つ作戦」ではないはずだ。
「柔よく剛を倒す」
今大会の柔道では、そういうことはあり得ない。
「技で負けても、強引に相手の背中を着けた方が勝ち」
柔道は、そんな競技になってしまうのだろうか?
posted by 樹理庵 at 00:13| 東京

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