2007年09月18日

思うところあって

思うところあって、本blogの更新をしばらく停止いたします。

そのうち、ひっそりと再開するかも?

これまで本blogに頂きましたご厚情の数々、誠にありがとうございました。

それでは、皆様、お元気で。

アディオス!
posted by 樹理庵 at 00:02| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

柔道のルールが変わったのか?



井上康生の敗戦は微妙な判定だった。
テレビで見る限り、相手方に有効がついたのはどう見てもおかしい。そもそも井上が技をかけたのは場内だが、相手が井上の技に倒されてから、倒れ際に井上を投げたのは場外である。

しかし、それよりも分けのわからない判定は、100kg級の鈴木桂治の敗戦だ。テレビで映像を見たが、鈴木の大外刈りが決まってバランスを崩された相手が、倒れ際に強引に鈴木を巻き込んでもんどり打って一緒に倒れたように見えた。これまでの柔道の試合なら、問題なく鈴木の一本勝ち、悪くても技ありであろう。それが、今回の判定は、倒れる際に入れ替わって先に背中が床に触れた鈴木の一本負けである。

技をかけて決まった。
相手が倒れた。

本来ここで勝負あり、というのが武術である。

しかし、今大会では、相手に技を決められて自分が倒されても、相手を抱き込んで一緒に倒れ込み、相手の背中を先に床に着ければ、技をかけた方ではなく、かけられて倒れた方が勝ちとなってしまう。

国際柔道連盟の会長以下全役員がスポーツ・ポリティック専門の政治家たちに牛耳られる羽目になり、柔道のルールが変えられつつあるように感じた。

一言で言えば、柔道が、「武道」的な力と技を競う勝負の世界から、極めて欧米人的な発想である「ルールで決められた『勝ち』であれば、どんな形でも勝ちは勝ち」の競技になってしまったような感じがするのである。

柔道が世界スポーツになったことはいいことだと思う。
しかし、このスポーツで優劣を競うべきは「力と技」であるべきで、「ルールを活かして勝つ作戦」ではないはずだ。


「柔よく剛を倒す」

今大会の柔道では、そういうことはあり得ない。

「技で負けても、強引に相手の背中を着けた方が勝ち」

柔道は、そんな競技になってしまうのだろうか?
posted by 樹理庵 at 00:13| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月14日

日本の月探査衛星「かぐや」



トラブルを起こすことなく、無事成功すると良いな。

なにしろ「かぐや」は、日本国民の「税金」の固まりですからあせあせ(飛び散る汗)

posted by 樹理庵 at 19:55| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

ビッグマック150円也



本当に食べたい人は、どのくらいいたんだろう?
学生なら、結構いるか。

サラリーマンやOLだと、「とりあえず、もらっとくか〜」なんて人の方が多かったんじゃないかなぁ。

まぁ、なんにしても省エネの具体的な提言に関心が集まるのは良いことだね〜ぴかぴか(新しい)
posted by 樹理庵 at 11:42| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

人脈を作るには?

当然のことながら、人に会わなくては人脈はできない。
自分が、魅力ある人間でないと、やっぱりできない。

魅力ある人間であるにはどうしたらいいか?

不思議なモノで、日々色々な人と遊んでいると、魅力というのは自然に出てくるものらしい。
それはつまり、人に揉まれることで、その人の余計なものが削り取られて、その人ならではのモノが現れてくる。それが魅力なのだと思う。個性と言い換えても良いかもしれない。

人の記憶の中には、「あの人はこういう人だ」というのが固まっていないと印象が薄い。印象が薄い人に、魅力的な人はいない。

人に揉まれて余計なものがそぎ落とされると、個性があらわになる。
次に、その個性が相手にとって魅力あるものであれば、その相手に貴方は魅力的な人として記憶される。

魅力ある人でいるためには、日々色々な人と遊ぶこと不可欠だ。
人脈は、人と会わないとできない。
両立するには、仲良くなりたい人と一緒に遊ぶこと。

これに勝るものはない。
posted by 樹理庵 at 12:04| 東京 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月12日

上下逆さまの家



いいね〜わーい(嬉しい顔)

是非住んでみたい。

・・・けど、こんな家を吉祥寺に建てようと思ったら、ヒステリック住民(二名ほど)から、やっぱり訴訟を起こされてしまうのかな・・・。
posted by 樹理庵 at 02:19| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この理論を突き詰めて研究していくと・・・




この理論を突き詰めて研究していくと、その先にあるものは、ひょっとしたら「タケコプター」かもしれない。

未来の世界で「タケコプター」が本当に商品化されたら、セグウェイとは比較にならないほど大きなインパクトがあるだろうな。
竹とんぼ大の超小型動力装置を装着することで、人が空を飛んで移動できたら、都会の交通事情は相当改善されるに違いないもの。

ただ、交通ルールが今よりちょっと、複雑になるかもねたらーっ(汗)
posted by 樹理庵 at 02:15| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月10日

北京オリンピックなんて・・・




いっそのこと、北京オリンピックなんてやめにしてしまえば?

世界の注目が集まった途端に出てくる、ボロの数々。

北京で五輪を開催しても、ろくなことがない。

今からでも遅くないから、開催国を変えた方がいいんじゃないの?
posted by 樹理庵 at 23:33| 東京 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

サッカーアジアカップ日本代表

今更だし、かなり勝手なことを書く。
故に、サッカーに一言ある人は、あんまり真剣に見ないように(と言うか、そもそも読まない方がいいかも・・・(^^;))。

今回のサッカーアジアカップ日本代表の闘いぶり、特に3位決定戦での韓国との試合を見て率直に思ったのは、今の日本代表は、ジーコジャパンよりも弱いのではないか?と言うことだ。

ジーコ監督の徹底した実績主義による選手起用には、色々批判があった。
また、その前のトルシエ監督の独裁的なやり方にも批判はあった。
では、オシム監督に対してはどうだろう?
批判らしい批判をしているのは、ひょっとしてセルジオ越後ぐらいしかいなのではないか?
オシム監督の采配は、一見すると合理的だし、選択肢は他には無い様な采配をしているように思えるのだが、実際そうなのか?

今回のアジアカップの結果を見る限り、また試合を見る限り、そうではないのではないか?と思えてくる。

アジアカップが終了したとき、中村俊輔は、「今の代表がやろうとしているサッカーは、俺が考える強いサッカーと共通するものがある」とコメントをしたそうだ。
中村俊輔については、トルシエの彼に対する評価が多分一番正しい。ジーコも俊輔を使いはしたが、彼のチームの中心軸はあくまでも中田英寿であり、中村俊輔ではなかった。

俊輔が代表チームの中心になり得ないのは、フリーキックが上手かったり、小手先の技術が上手くても、結局のところハートが無ければ勝てるサッカーを組み立てることはできないからだ。トルシエもジーコもそれを十分に理解していたと思う。
オシムは、理解しているのだろうか。
俊輔や遠藤をチームの軸に据えることは極めてリスキーである。彼らは、自分のリスクで断面を変えることは決してしない。何故なら、常に「巧くてクレバーな」選手であらんとするからである。リスクを冒すと言うことは、それだけミスが増えることを意味する。それよりは、誰かがお膳立てしてくれたフリーキックやコーナーキックで妙技を見せたり、さほどリスクがない状況でキラーパスを送って見せたりする方が、自分のスタイルに合っている、持ち味を出せていると考えているからだ。
相手が技術的にかなり弱かったり、精神的に弱いチームが相手ならば、それで十分通用するだろう。
しかし、相手が一定以上の技術を持ち、強いハートを持ったチームであった場合、鎬を削るような局面では、俊輔も遠藤も役に立たない。そんな選手をチームの主軸に据えるのは、やはりどう考えても勝てるチームを作るつもりなら極めてリスキーと言わざるを得ないのだ。

オシムを正面切って批判する人は、現時点で誰もいない。
彼の実績や隙のない言動、人を煙に巻く技術で翻弄され、批判らしい批判ができない。オシムが好む選手は、ストイコビッチのような選手であることは間違いないと思うが、俊輔も遠藤もストイコビッチのような激しくも一本気なハートは持ち合わせていない。せいぜいストイコビッチを表面的に真似ることぐらいしかできまい。

羽生や巻など千葉のオシム・チルドレンは、十分にハートは鍛えられているが、実績面で俊輔や遠藤に及ばない。オシムは、まだ彼らをチームの中心として使うことを避けている。それは、既に実績ある選手達への遠慮なのかも知れないが、無用なことである。

オシムの実績や監督としての実力が、世界レベルで見て素晴らしいものであるならば、そろそろ選手起用や采配について、きちんと結果の出る方法を求めたい。
アジアカップ日本代表をそのままワールドカップ予選に持ってきた場合、一次予選はともかく、最終予選ではかなり厳しい結果を覚悟しなければなるまい。

2010年まであと3年。予選が始まるのは、早ければ来年である。
オシムで良いのか?オシムで行くなら、今の代表で良いのか?
そろそろ真剣に考えるべき時が来ている。
posted by 樹理庵 at 01:57| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月26日

誰がどう書いてもきっと不満は出るんだろう・・・。



自分は、映画化されたうちの最初の二つしか見てないけど、そこまでの物語はかなり良くできていた。

現在第5作が上映されているけど、小説の方では完結版が出版されたのですね。

噂通り、ハリーは死んでしまい、魔法の世界の後事はロンとハーマイオニーに引き継がれたたのかな?

世界的な大人気物語の最後は、誰がどう書いても、きっとどこかから批判は出る。それが正しかったのかどうかは、歴史が審判してくれることでしょう。

自分としては、世間の評判に耳を貸しながら、全てが映画化されるのを待つとするかな・・・。
posted by 樹理庵 at 14:21| 東京 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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